2019-01-01から1年間の記事一覧

日記(8)

七年後の昭和三十七年八月七日、南武線の事故は現実となり、静子の家ではしめやかに葬儀が営まれていた。静子は七年先の事故を知っていたのだ。 ここに静子の日記がある。 「―昭和三十年八月七日―、怖い夢をみた。私が音楽室の鏡に向う時、遠雷が聞こえた。…

日記(7)

静子は南武線に乗り換えた。静子は新聞を広げ、もういちど日付を確認した。 ガタンと車体を震わせて登戸駅を発車した電車は宿河原と久地で乗客の乗り降りを確認しながら、五時十三分に久地駅を発車した。程なく電車は乗客をシートに押しつけながらカーブを勢…

日記(6)

急いで見た日付は昭和三十七年八月七日と記されてあった。“落ち着け”と言い聞かせた。今年は昭和三十年のはずだ。三十七年とすれば、あの友は未来の友となる。そんなことなどあり得ない。あり得るはずがない、“落ち着け”と言って目を閉じかけた。そうだ家に…

日記(5)

友と話していると、今日は洋裁学校の授業が終わったら一緒に伊勢丹に行くことになつていたようだ。友は行けなくなったらしく、頻りに謝った。静子は友が行けなくなったことを幸いに思った。 「ねえ、今日は何日かしら」静子は、何気なく言うのに苦労した。友…

日記(4)

日記(4) 「だめよ、私なんか。あなたは美しいわ。私はあなたが羨ましい。あの赤いガーベラのようだわ」 と、すぐにその人は言った。静子は“あなたの名前は?”と聞きたかったのだ。まだ会ったことのない人だった。 「さあ??」速く掃除をしましょう。………や…

日記(3)

ゆっくりと机の間を通り抜け鏡を覗いた。眩暈が少しずつ薄らぐにつれて鏡の中の顔が浮かび上がってきた。“あ”と言おうとして言葉を飲み込んだ。額の傷は大きく口を開けている。みるみるうちに血が盛り上がり、今にも、どっと溢れそうだ。静子は鏡に両手をつ…

日記(2)

鍵盤に注がれる月の光を労るように流れる指先から青い蝶が飛び出て教室を舞っている。第一楽章が終わりに近づく頃には、蝶の数が教室に溢れ、指先が重くなるのを感じた。静子は重くなった指先を頭上に振り上げた。なぜそうしなければならないのか解らなかっ…

日記(1)

昭和三十年一月二十四日、鳩山一郎内閣が解散した。解散の理由について「天の声」と答弁したことから“「天の声”解散と名付けられた。梅雨期間になっても降水量が少なく、梅雨明けも早かった。東日本では記録的な暑さが続いた。 高校二年生になった静子は文化…

日経を読むOL

二月に入ってから雨は降らず、予報に反して寒さが厳しい。ハイウェイローズの蕾が枯れ始めた葉の間で赤く膨らんでいる。よく見るとレディヒリンドンの薄い黄色の蕾も見え隠れしている。例年と違った師走の庭を見ながら背を丸めて玄関を出た。 最寄りの私鉄駅…

江戸川放水路

早朝、車で江戸川放水路に向かった。関東一のハゼ釣りのポイントと言われている。 東西線の「妙典」駅の近くを通って釣り場に向かったが、江戸川放水路の土手を通って水路を目指すのには往生した。やっとの事で、市川市妙典スーパー堤防駐車場に車をおくこと…

鯉濃(10)

話に驚いたのか、のぼせてしまったのか、めまいを感じ、ふらついた。 すると湯煙の中をゆらゆら近づいてくる女の姿が写った。女は桶に入った水を頭にかけた。水の冷たさに我に返って見ると、女の下半身は美しい鯉だった。 「ありがとうございました。もうす…

鯉濃(9)

この人は普通では無い、それでもいい、黙って聞こうと温泉の湯を顔にかけて、次の言葉を待った。 「祈りました、毎日、毎日、祈りました。そしたら仲間から聞いたのです、貴方がここに来るということを。きっと鯉を、鯉濃を注文すると。そうすれば番頭さんが…

鯉濃(8)

「時の経過は分かりません。分かりませんがだいぶ待ちました。その時、あなたは鯉を食べました。その鯉は私の連れ合いです。一緒になって子供を宿して直ぐでした。連れ合いは姿をけしました。湖を離れたと仲間から聞きました。それは致し方ないことです。宿…

鯉濃(7)

「動かないで!お願いですから動かないで下さい。少しだけ話を聞いて下さい」 「聞く?」 「お願いです。お礼が言いたいのです」 「お礼?」 湯煙が大きく動いた。若い人だ。三十歳前後か。少し落ち着いてきた。 「勝手ですが急ぎますのでお話しします。貴方…

鯉濃(6)

おや、風か、冷たさが頬を撫でるように感じた。窓が開いていたのか、風が湯煙を一筋の道をつくるように分け入って、窓からここまで届いていた。その道の奥に湯に浸かっている人がいる。湯煙が少し動いた。肩までが見える。 「今晩は」 息をのんだ。女の人だ…

鯉濃(5)

膳が片付けられ、布団が敷かれた。疲れが出たのか横になると直ぐに寝てしまい、目を覚ました時は十二時を廻っていた。 女将に教えられた風呂場は直ぐに分かった。脱衣所から大きな引き戸を開けると浴場から上がる湯煙で湯船は見えず、かすかに洗い場が見え隠…

鯉濃(4)

三日前、妻と妹とは、新幹線で京都に出かけていった。 その日の午後、そうだ鯉濃を食べに行こうと思い立って、関越道に乗った。妻に黙って一人で行くのは抵抗もあったが、なぜだか分からないが、行ってみたい感情を抑えることができなかったのだ。

鯉濃(3)

実を言うと、この宿で鯉濃を食べるのは初めてではない。三十年程前に家族四人で八ヶ岳へ出かけたおり、泊まる宿が無くて野辺山から更に長野県を北上してやっと探したのがこの宿だった。部屋は古い病室のようなもので、鍵は壊れていて内側から施錠できなかっ…

鯉濃(2)

程なくして女将が膳を運んできた。膳には鯉濃がある。女将はご飯をつけると、ごゆっくり、お風呂はご自由の時間にどうぞと言って出て行った。 鯉濃は鯉の輪切りを濃漿味噌で煮込んだ味噌汁で、鯉の身肉とエキスが濃縮され、絶品だった。

鯉濃(1)

秋の日はつるべ落とし、夕日を眺めてから宿にたどり着くと、とっぷりと日が暮れていた。東の空に満月が昇っている。 チェックインカウンターで、昼食を食べなかったので風呂は後回しにして、予約の時にお願いしたとおり鯉濃で食事をしたいと伝えた。 部屋に…

薔薇の咲く庭(8)

この頃、私の家の周りや此のあたりでは、雑草が生い茂った空き家や更地にした売り地が目に付く様になってきました。主の事情は分かりませんが、きっと何処かで薔薇の花を咲かせているのでしょう。そう思いながらの帰り道を、私は下を向いて歩いていました。 …

薔薇の咲く庭(7)

翌年になって、あの家の薔薇が見たくなって出かけてみました。 その場所は更地になっていました。東側の角に枯れた薔薇の木が一本ありまして、ビニール袋が垂れ下がっていました。中には紙が入っているようでした。袋を透かして見ると何か書いてあります。 “…

薔薇の咲く庭(6)

連休が過ぎて数日後、その家の前に立って見事に咲いた薔薇に見とれていました。東側の薔薇は盛りを少し過ぎた様子でした。駐車場に車が無く、南側の薔薇の木がよく見えました。見事に咲いた薔薇で庭はいっぱいでした。しばらく立ち止まって見とれていました…

薔薇の咲く庭(5)

私には薔薇の名前は分からなかったのですが、駐車場の奥の南側には沢山の薔薇が植えられているようでした。「お手入れが大変でしょうね」と尋ねると「あまりに大きくなりすぎて、手入れが追いつかなくなりました。七十を過ぎた私にはもう限界です」と、主は…

薔薇の咲く庭(4)

何色の薔薇が咲くのかと足を止めて観ていますと、庭の主が出てきました。とっさに「おはようございます、お見事な薔薇の木ですね」と挨拶しました。主は「ああ、薔薇ですか」と、いぶかしげな顔が和みました。「今年は、例年より早いようです。蕾も沢山つき…

薔薇の咲く庭(3)

霜柱も消えて土の香りに春が近いのを感じるころには、家々の庭には150号のキャンバスに向かい合い、筆を持ってパレットに絵具を出す様に、鉢、プランター、テラコッタ、バスケットなどが用意されていました。 桜の花が散る頃には、家々の庭は、赤や黄色、…

薔薇の咲く庭(2)

最初の頃は下を向いて歩いていましたのですぐに飽きてきました。 これでは運動にならないと、顔を上げ、背筋を伸ばして歩くことにしました。 すると当然のことに、視界は広がりました。角を曲がる度に家々が現れ、こちらに顔を向けます。 平屋の家もあります…

薔薇の咲く庭

私は六十五歳で退職しましたが、これといって趣味もなく家にいる事が多くなり、このごろ足腰に不安を感じるようになりました。 運動の一種と考えてウオーキングをしようとも考えましたが自信も無いので、散歩でもしようかと、家から十五分ほど行った丘の上に…

散歩に出かけました

散歩に出かけましたが、小雨が降り始め、急いで戻りました。

オクラが大きくなりました

雨が続いていましたが、オクラの葉がやっと大きくなってきました。