「動かないで！お願いですから動かないで下さい。少しだけ話を聞いて下さい」 「聞く？」 「お願いです。お礼が言いたいのです」 「お礼？」 湯煙が大きく動いた。若い人だ。三十歳前後か。少し落ち着いてきた。 「勝手ですが急ぎますのでお話しします。貴方…

おや、風か、冷たさが頬を撫でるように感じた。窓が開いていたのか、風が湯煙を一筋の道をつくるように分け入って、窓からここまで届いていた。その道の奥に湯に浸かっている人がいる。湯煙が少し動いた。肩までが見える。 「今晩は」 息をのんだ。女の人だ…

膳が片付けられ、布団が敷かれた。疲れが出たのか横になると直ぐに寝てしまい、目を覚ました時は十二時を廻っていた。 女将に教えられた風呂場は直ぐに分かった。脱衣所から大きな引き戸を開けると浴場から上がる湯煙で湯船は見えず、かすかに洗い場が見え隠…

三日前、妻と妹とは、新幹線で京都に出かけていった。 その日の午後、そうだ鯉濃を食べに行こうと思い立って、関越道に乗った。妻に黙って一人で行くのは抵抗もあったが、なぜだか分からないが、行ってみたい感情を抑えることができなかったのだ。

実を言うと、この宿で鯉濃を食べるのは初めてではない。三十年程前に家族四人で八ヶ岳へ出かけたおり、泊まる宿が無くて野辺山から更に長野県を北上してやっと探したのがこの宿だった。部屋は古い病室のようなもので、鍵は壊れていて内側から施錠できなかっ…

程なくして女将が膳を運んできた。膳には鯉濃がある。女将はご飯をつけると、ごゆっくり、お風呂はご自由の時間にどうぞと言って出て行った。 鯉濃は鯉の輪切りを濃漿味噌で煮込んだ味噌汁で、鯉の身肉とエキスが濃縮され、絶品だった。

秋の日はつるべ落とし、夕日を眺めてから宿にたどり着くと、とっぷりと日が暮れていた。東の空に満月が昇っている。 チェックインカウンターで、昼食を食べなかったので風呂は後回しにして、予約の時にお願いしたとおり鯉濃で食事をしたいと伝えた。 部屋に…

この頃、私の家の周りや此のあたりでは、雑草が生い茂った空き家や更地にした売り地が目に付く様になってきました。主の事情は分かりませんが、きっと何処かで薔薇の花を咲かせているのでしょう。そう思いながらの帰り道を、私は下を向いて歩いていました。 …

翌年になって、あの家の薔薇が見たくなって出かけてみました。 その場所は更地になっていました。東側の角に枯れた薔薇の木が一本ありまして、ビニール袋が垂れ下がっていました。中には紙が入っているようでした。袋を透かして見ると何か書いてあります。 “…

連休が過ぎて数日後、その家の前に立って見事に咲いた薔薇に見とれていました。東側の薔薇は盛りを少し過ぎた様子でした。駐車場に車が無く、南側の薔薇の木がよく見えました。見事に咲いた薔薇で庭はいっぱいでした。しばらく立ち止まって見とれていました…

私には薔薇の名前は分からなかったのですが、駐車場の奥の南側には沢山の薔薇が植えられているようでした。「お手入れが大変でしょうね」と尋ねると「あまりに大きくなりすぎて、手入れが追いつかなくなりました。七十を過ぎた私にはもう限界です」と、主は…

何色の薔薇が咲くのかと足を止めて観ていますと、庭の主が出てきました。とっさに「おはようございます、お見事な薔薇の木ですね」と挨拶しました。主は「ああ、薔薇ですか」と、いぶかしげな顔が和みました。「今年は、例年より早いようです。蕾も沢山つき…

霜柱も消えて土の香りに春が近いのを感じるころには、家々の庭には１５０号のキャンバスに向かい合い、筆を持ってパレットに絵具を出す様に、鉢、プランター、テラコッタ、バスケットなどが用意されていました。 桜の花が散る頃には、家々の庭は、赤や黄色、…

最初の頃は下を向いて歩いていましたのですぐに飽きてきました。 これでは運動にならないと、顔を上げ、背筋を伸ばして歩くことにしました。 すると当然のことに、視界は広がりました。角を曲がる度に家々が現れ、こちらに顔を向けます。 平屋の家もあります…

私は六十五歳で退職しましたが、これといって趣味もなく家にいる事が多くなり、このごろ足腰に不安を感じるようになりました。 運動の一種と考えてウｵーキングをしようとも考えましたが自信も無いので、散歩でもしようかと、家から十五分ほど行った丘の上に…

散歩に出かけましたが、小雨が降り始め、急いで戻りました。

雨が続いていましたが、オクラの葉がやっと大きくなってきました。

庭で栽培している薔薇が咲きました。