日記(8)


 七年後の昭和三十七年八月七日、南武線の事故は現実となり、静子の家ではしめやかに葬儀が営まれていた。静子は七年先の事故を知っていたのだ。


  ここに静子の日記がある。

「―昭和三十年八月七日―、怖い夢をみた。私が音楽室の鏡に向う時、遠雷が聞こえた。そして、梢で私の方を見て寂しそうに鳴いている雀を見た。なんだか、私を呼んでいるようだった。稲光は嫌いだ。ガーベラも嫌いだ。鏡は見たくない。ピアノも止めようかな。祖母ちゃんが言ってた。 “人はそれぞれ食い扶持を持って生まれてくる。それを食べ尽くしたとき、あの世にいくのさ”って。私はどのくらい食い扶持を持って生まれたのだろう』


   日記は家族の目に触れることなは無かった。

 

(終わり)